撮影に参加してくださった何名かの方からメッセージをいただいています。
1925(大正14)年5月、新潟県生まれ
(2025年現在100歳)
戦争はダメ!人殺しはダメ!戦争によって人が殺されるのもダメ!
昭和11年旧満州生まれ
(2025年現在88歳)
私の父はモンゴル抑留で死にました。
先月7月8日、天皇皇后両陛下の慰霊式に遺族代表でお声がけいただきました。しかし、戦後80年経っても癒えることはありません。
戦争は惨いです。人間の幸せを根こそぎ破壊します。
二度と戦争がないよう祈ります。
昭和10年東京生まれ
(2025年現在90歳)
何故、日本の正式な領土の南樺太が一瞬にして奪われてしまったのかを後世の方にお伝えするのが私の任務です。
大事なことは、南樺太も千島列島も、今はロシアが占領しているが、ロシアの領土ではない。
南樺太も千島列島も、正式な世界地図では白く塗られていて、昔も今も正式な日本領土である。
今の若い人はご存知ないから、是非知っておいて欲しいです。
昭和9年台湾台南市生まれ
(2025年現在90歳)
戦後、GHQが入って教育が変わってしまい、今も「日本人は悪いことをした」と思い込まされてしまっている。
でも、今、特に若い人たちに伝えたいことは、日本人は大和魂があって偉大な国民なのだから、もっと自信と威厳を持って生きて欲しいということ。
そして、今、日本が日本ではなくなってしまいそうだから、どうか日本を守って欲しい。
昭和9年4月7日岩手生まれ
(2025年現在91歳)
私は戦前、戦中、戦後と生きて来て 今現在 平和な令和の時代も生かされて つくづくありがたい と思う。
戦後80年と言う言葉を耳にする このごろ 私の子供の頃の戦争の悲しい思い出が蘇る 空襲警報のサイレンの合図で山に隠れる それが1日何回も続き おびえながらの生活で食糧難であり食べる物も不足でいつも腹がへっていた。友達と畑の人参を抜いて 土を着ている服でぬぐい食べた。口に入れ歯でかんで それで一時は満たされた。大根めし雑炊(大根葉 野の草入り)白い御飯は正月の一回だけ 本当に大変な昭和初期だった。
令和の時代になって 折に触れ 家族に当時の様子を話すと 断片的でいいから書きとめて置いたらと軽く言う(私は少々不満)
書きとめて置いたって誰がしっかり読むものか?
書いたところで 何の役にもたたない(肩がこるだけだ)
やめておこうと一人 いつも ブツブツ言っていたけれど 今回 私の胸深く 塊の様になって 80年もの間 染みついていた戦争の体験を遠い記憶をたどり記して見たいと思う様になった。再度、娘や孫に促されて
誰が決めたのか当時の合言葉
・一億一心
・欲しがりません 勝つまでは
この精神で皆心を一ツにして大根めしでおかゆをすすり 野の草を食し頑張ったのだと思う。
子供心にも上記の言葉は理解できた。食糧難にも耐え ボロを着て それでも誰もモンクを言う人もなく上記の言葉を守り絶対に日本は勝つ と皆心を一ツにして頑張るんだ どんな不運が訪れようと 必ず最後に「神風」が吹いて日本の勝利に導くと昔から伝説みたいなものがあって この「神風」を信じるところもあったと思う。しかし戦争も末期になる。飛行機(B29)が空いっぱい低空でやって来る様になって畑で草取りしていた近所のおばさん鉄ぽうで打たれて死んだ。母親が オレ達だって いつあの様になるかわからない そばを離れるナと言う。すごく怖かった。
♪勝って来るぞと勇ましく
誓って国を出たからは
手柄たてずにいられよか
進軍ラッパ聞くたびに
瞼に浮ぶ母の顔
この唄をうたいながら元気で皆んなに見送られて戦地に行った農家の大切な長男、次男、三男の兵隊さんが次々と白木の箱に入り白い布につつまれて帰ってきた。皆んな嗚咽で迎える それでもラジオのニュースでは今日も日本軍が敵を「やっつけた」と この時はもう末期状態で こちらの人々も もう ヘトヘト状態
ある日学校とか公民館に皆、集れとの達し「何があるんだべ」と不思議顔 直前になって 天皇陛下のお言葉があると
静かに おごそかに あの昭和天皇陛下の独特のお声で敗戦のお言葉
耐えがたきを 耐え
忍びがたきを しのび
・・・
(私はこれしかおぼえていない)
・・・・・・・・・・・・・・・
(小学4年生)これを聞いただけでも 私達の日頃の苦労が分ってくれていたんだと思うと芯から大声で泣いた 会場に集った子供、大人、皆会場が割れんばかりに顔をおおう事なく ただ ただ 泣きくずれる 皆空腹に耐え 野の草を食しながら頑張って来たのに泣く事しかできなかったのだ
私は この時の状況、雰囲気 今でも鮮明におぼえていて思い出すと切ない
♪海ゆかば・・・
敗戦後になって この唄がどこからともなく聞かれる様になる
けれど 私は当時の様子が浮び 涙なしでは唄えない悲しい唄です
太平洋戦争
昭和16年12月8日 開戦
昭和20年8月15日 終戦
参加してくださった方からの直筆のお手紙をいただいています。