たどり着けるまで

この曲は、反戦歌でも愛国歌でもない。
もともとは、不条理が渦巻く社会にあって
誠実に神を信じて生きる思いを歌ったゴスペル
として書いたものだ。HEAVENESEとしての公の活動が始める前から歌っていた。

だが、パンデミック以降の激変した社会で
東京y’sBe学園を立ち上げ、
小・中・高生たちとの共演の舞台が増えた
ことで、先人たちから受けたことを
繋いでいく具体的な働きが増えた。

その流れの中、ある日、この曲の間奏部分に、
海ゆかばのメロディーを入れてみたのが、
今回の作品制作のきっかけとなった。もともとメロディーが好きだったので、自分たちの楽曲の中に組み込むことで、この美しいメロディを「軍歌」とは違う
印象で紹介したいという思いもあって
やってみたのだ。

すると思いの外うまくはまって、
歌詞のないメロディーだけなのに
当時の少年少女たちの心の機微が
染み込んでくるような静かな感動があった。

意味もわからず歌わされていた人、
喜んで歌っていた人、
涙にくれ、搾り出すように歌った人、
悲しみや憂い、
未来がよくなると信じて散っていった
人々の切ない情念が、旋律から伝わっくるような感覚だった。

そして、いつしか「海ゆかば」をフィーチャリングした
「たどり着けるまで」は、HEAVENESE公演の演目の一つとして定着した。
生徒たちが一生懸命に声を出して歌う姿は
世代を超えた大所帯の「一座」のあり方の
象徴的な一面を表すものとなった。

親子ほども年齢の離れた面々が
一つのステージに立つ姿を見て
ご高齢の方々が「安心した」と言ってくださることが多い。
そう長くない先に、この地上を去っていく自分が
何を遺せたのかに思いを致すのは当然だろう。
そんな彼らが「安心」するのは、
彼らの思いが受け継がれていくことを確認できた
からではないだろうか?

あの大戦を体験した証人としての
生の声を発する最後の世代の人々が
まだご存命のうちに、
少しでも、彼らが「歌った」という
青春時代の痕跡と記憶を
作品として残すべきだという強い思いから
このミュージックビデオは作られた。

彼らの歌声に込められた思いを
次の世代を生きる若者たちに
受け継いでいくことができたとしたら、これほどの幸いはない。

Marré & Kumiko