海ゆかば……
戦後になってこの歌が
どこからともなく聞かれるようになる。
けれど、
「私は、当時の様子が浮かび
涙なしでは唄えません」
この映像の中で挿入されている
『海ゆかば』について、
撮影に参加して下さった
91歳の菊地信子さんはそう記す。
戦争末期11歳だった
菊地さんが思い出すのは、
岩手の畑に飛来した
B29のパイロットと目が合った
強烈な瞬間だ。
空いっぱいの爆撃機。
草むしりをしていた近所のおばさんが、
撃たれて死んだ。
響きわたる空襲警報。
恐怖の中で山に逃げ込む日々。
超低空飛行で「殺し」にくる
米兵と目が合った。
その体験は、
11歳の少女の心に刻み込まれ
消えることはない。
当時、出征する人々を
軍歌で送り出した。
「海ゆかば」は、
鎮魂のためにも歌われた。
だがそれは
菊池さんにとっては
「悲しい歌」でしかない。
でも、一生懸命唄ってくれた。
記憶を繋ぐため。
そして、僕たちは歌う。
怒りも、悲しみも、喜びも、
そこにあった思いを込めて。
リードボーカルKumikoの
98歳の叔母は、もう多くのことがわからない。
でも「海ゆかば」は元気よく歌う。
「男の人はみーんな戦争にいっちゃったから、
私は結婚もできなかった」
生涯独身の理由をそう語る。
色褪せることのない
戦争の記憶を語る世代が
今、まさに消え行こうとしている。
この記憶を
繋いでいかなければいけない。
多くの人にとって悲しみの唄。
でも「海ゆかば」は、紛れもなく当時の
少年少女の青春の1ページを刻むもの。
戦争など、二度としてはいけない。
だが、あの時代を生きた人々、
特に若者たちの「本当の記憶」を
消去してはいけない。
この作品を通して、
今を生きる僕たちの為に
愛する人々と、
未来を守るために、
力を尽くしてくれた彼らの思いが、
平和を希求する全ての人に、
届くことを願う。